ストレスと気ごごろ
2022.4.27よしなしごと
自分に深く集中できたとしても、ひとに対するストレスは、まつわりつくように、存在しています。
ひとりは気楽だけれど、こころを向けると、さみしい思いをすることがあります。
むかし、ジョルジュ・ムスタキが、「わたしの孤独」という、シャンソンを歌っていましたが、そのなかの、「さみしくないわ、孤独と一緒だから」という、孤独を取り込んでしまう歌詞が、深くこころに残っています。
人といるとき、部屋を離れたとしても、その、ひとの気配がとても気になってしまいます。
別に、ぎくしゃくしてる人間関係でもないのに、理由はどこにあるのか、すると、お互いに気ごころが知り得てるせいではないのかと、思い至りました。
気ごころが知れるのは、親しさが深まり、また、そのことに、おたがいが安心感をもったりと、良い印象がありますが、その通りなのでしょうか。
気ごころが知れるのは、もしかすると、かなしみを伴うことではないのか、
想像のなかで、一人、折り合いをつけることで、まっすぐに向かうはずであった気持ちの表現が、もやもやに変わって
しまうのだから。
今日はサン・ジョルディの日
2022.4.23よしなしごと
今日、4月23日は、スペインのカタルーニャ地方では、キリスト教の聖人である聖ゲオルギオスが殉教した日で、本とお花ー赤い薔薇を贈る習慣があるそうです。
今日はまた、ドン・キホーテの作者であるセルバンテスやシェイクスピアの命日であるところから、世界本の日で、本を贈り合う日でもあります。
お昼間は、生活の時間、テレビやネット環境で過ぎていき、ひとり静かな空間は、朝と夜になっています。
最近は夜、古典をすこし読んでから、眠ります。
違う時代風景や、その頃のことばで、日本語が少しずつひろがり、たのしい時間となっています。
ことばが好きなので、マックス・ピカートの「沈黙の世界」も好きでした。
最初に書かれている文章に、惹かれました。
沈黙は言葉なくしても存在し得る
しかし、沈黙なくして言葉は存在し得ない
もしも言葉に沈黙の背景がなければ、言葉は深さを失ってしまうであろう
至光社から出ている、谷内こうたさんの絵本も好きです。
そんな本を贈るかもしれません。
大山崎の山荘美術館
2022.4.10よしなしごと
天王山の戦いで有名な大山崎にアサヒビール大山崎山荘美術館があります。
木々に両側を囲まれた、長いアプローチを歩いた先に、山荘があります。
そこで、以前、民芸の作品展があり、河井寛次郎、濱田庄司、バーナードリーチの作品を見たことがあります。
焼き物だけでなく、暮らしの周辺にあるものー織物や書などもあり、建物が住みたくなるような家であったこともあり、
「暮らしと民芸」といわれなくても、しっくりと作品を受けとめる佇まいでした。
その頃は、お茶や日本の焼き物が、ヨーロッパに輸出されていたことに、興味があったので、偶然目にした、オランダのデルフト焼きに、とてもこころがひかれました。
2階のテラスからは、宇治川、桂川、木津川が合流していて、とてもきれいな風景が楽しめます。
ここのカフェもおすすめです。
コンクリートの建物の地下に下りると、安藤忠雄さん設計の美術館に出て、モネの睡蓮の絵を見ることができます。
広大といっていいお庭も、百年もの時を重ねたどっしりとした山荘も、ワクワクするような美術館も、そこでは、
なにもあらためて見なくてもいいのかもしれません。
かたちを変えた芸術を感じるだけの空間。
そうそう、大山崎の駅のすぐ近くに、千利休の茶室、「待庵たいあん」がありました。