抹茶で始める一日

2020.1.7よしなしごと

朝、一番にすることはお湯を沸かすこと。

兵庫陶芸美術館に行ったときに、近くの立杭陶の郷(たちくいすえのさと)にも立ち寄ってみました。

たくさんの窯元の作品が、それぞれ小さく仕切られた空間に、多数展示されていました。
気に入った作品は、買うこともできます。

まだ見始めてすぐのブースで、艶やかな色を抑えた、玉虫色のお茶碗に魅せられてしまいました。
普通のお抹茶茶碗よりも、ふたまわりぐらい小さなお茶碗で、持ってみると、手の中でいつくしむような感じがし、迷わず購入しました。

朝の静かな時間に、お抹茶を自分のためにていねいに淹れ、味わうと、もろもろのことから、結界を作ったような気がして、新しい一日に意識が向かいます。

2020年、新しい年のために求めたお抹茶の御銘を、わたしは「初響き」と名付けてみました。

「空を待つ」

2019.8.22よしなしごと

人を待つ間、手にした雑誌に、西加奈子の短編が載っていました。

女性の作家が、夜、散歩に出かけたとき、偶然、携帯電話を拾います。
翌日警察に届けようと、軽い気持ちで家に持って帰った携帯の待ち受けには、「空」が写っていました。

そこに突然、「あっちゃん」という名前で、メールが送信されてきました。
女性は罪悪感を感じながらも、もし、「あっちゃん」なる人が、落とし主を知っているなら返そうと、返信します。

「あっちゃん」から、メールが何通か、届くようになりました。
女性も、軽い日常のやりとりと思えるような言葉を選んで、送信していました。

数回やりとりがあったあと、その女性作家は、みじかく「あいたい」とメールを送ってしまいます。

女性が、拾った携帯を家に持ち帰るところから、わたしの中で、妙にドキドキがおさまらなくなってしまい、このみじかいお話にすっぽりと入ってしまいました。

調べてみると、西加奈子の、「炎上するきみ」という短編集の中の作品でした。

怖さは、何であったのか、、
「あっちゃん」はだれ、、

これは、詮索不要。
自分の中に、なにか感じるものが涌き上がったのなら、それをただ味わうだけでいいと思いました。

良い時間でした。

田辺聖子さま

2019.6.13よしなしごと

はじめて読んだお聖さんの小説は、「窓を開けますか」でした。

若い女性のこころが、繊細に表現されているのにとても惹かれ、単行本、文庫の両方を持ち、片時も離さず大切に読みました。

それから、たくさんの小説、短編、エッセイ、評伝、みんな好きで読んできました。

短編のなかにある、文章のリズムが快く、技量のある作家だなと僭越にも思いました。

「おかあさん 疲れたよ」という長編小説があるのですが、それは昭和の歴史と平安時代が交差する、スケールの大きな作品で、小説家としての力量を強く感じました。

お聖さんの作品を読むたのしみは、たくさん散りばめられている、エスプリを見つけることも含まれます。
書かれた作品の中から編まれたアフォリズムの本もありますが、作品を何度も読む中で、気に入った表現を書きとめていたら、わたしだけのアフォリズムのノートが出来上がっていました。

どれもとても読みやすい文章で書かれていますが、何冊も、何回も読んでいるうちに、単にわかりやすさが目的の言葉ではないとわかってきます。

「表現は、ひらがなで書くようにわかりやすく」とお聖さんもおっしゃっていますが、アイロニーに深く立っている視点だからこそのユーモアであり、ときに鋭さに驚き、作家としての怖さを感じるときもありますが、豊かな日本語から選び抜かれたことばは、素直にこころに届きます。

「源氏物語」をはじめ、古典のいろいろを勉強できたのも、大好きになったお聖さんのおかげでした。

ずいぶん前になりますが、講演会に出かけ、お話しを伺ったことがあります。

小説のこと、古典のこと、幅ひろくお話しされ、最後に「川柳にも、こんなにうつくしい川柳がありますよ」と紹介してくださったのが、「残花亭日暦」にも書かれている「遠き人を 北斗の杓で 掬わんか」でした。

一度ならず、そのあと二度も朗々とゆっくり詠まれ、壇上を下りられました。

これからも、変わらず繰り返し読み直していくだろう中で、新たに何を感じていくのか、真摯にことばを追っていきたいと思います。