シルヴィ・ギエムとマルセル・マルソー

2018.9.15ダンス

2015年の大晦日、「ボレロ」を踊り、引退してしまったシルヴィ・ギエムですが、彼女と同じ時代に生き、そしてそのダンスを見てきたことは、幸せなことでした。

クラシックの作品はもちろんですが、モダンの作品も、好きでした。
ラッセル・マリファントとのデュエットの「push」や彼の振り付けの「two」、特に「two]では、舞台の中央からほとんど動くことはなく、音楽のバスの音とギエムの腕の動きは、意味を探す間もなく惹きつけられるばかりで、とても感動したことを憶えています。

スウェーデン出身のマッツ・エックの振り付けの作品、「Bye」 は、ステージの中央に真っ白いスクリーンを置き、ブラウスとスカート姿のギエムが、現在の自分自身から内面の対話を通して、さらに新しい自身へ移っていく、そんなストーリーでした。
音楽は、ベートーベン最後のピアノソナタ、32番の2楽章で、作品名と内容にふさわしい選曲と思いました。

この作品でのギエムの手の動きや白いスクリーンを見たときに、マルセル・マルソーのパントマイムを思い出しました。
マルソーの舞台は、二部に分かれており、一部は人生のシーンを表現したスタイルのマイム、もう一部はマルソーが創造したビップが主人公のパントマイムでした。

京都の南座では、花道を使って、ビップが堂々と登場した「ビップの猛獣使い」、モーツァルトのピアノ協奏曲21番の美しい2楽章をバックにたくさんの生きものが生み出された「天地創造」、そして「仮面造り」はとても人気で、プログラムを持つ人が、舞台の中央でポーズを決めた瞬間に、拍手がとどろくように沸きおこったこと、そしてその夜の「仮面造り」は、観客の反応を、マルソーがとても楽しんで演じていたのがよくわかる感動的な舞台で、その後のカーテンコールの熱狂は、いままでに体験したことのないものでした。

わたしは、「木」が好きでした。
「木」が見てきたもの、経験したことを象徴する「木」の人生のマイムだと思っていました。
この作品の最後では、マルソーの「木」は、後ろに大きくえびぞりになって倒れたと思っていたのですが、舞台を間近で見たときのことです。
後ろに倒れたはずのマルソーの頭は、舞台の床から20cmほど離れ、静止していたのです。
「レジスタンスは、美しい」 沈黙の詩人のことばを感じました。

マルソーの舞台を見たことは、作品の感動だけではなく、それを通した先の芸術の本質を教えてくれるものでした。

ルネッサンスダンスを踊った天正遣欧使節団

2018.7.25ダンス

来月8月1日から、第15回目となる世界バレエフェスティヴァルが、東京で始まります。
ノエラ・ポントワ、カルラ・フラッチ、マイヤ・プリセツカヤ、ジョルグ・ドンをはじめ、世界のトップダンサー、そしてベジャールの作品もこのフェスティヴァルがきっかけで一度に見ることができ、その感動は、いまも強く残っています。

現代バレエの元を辿っていくと、ルネッサンスやバロックの頃のダンスになりますが、16世紀に、このルネッサンスのダンスを目にし、体験した日本人がいます。

それは、天正遣欧使節で派遣された少年4人、伊藤マンショ、中浦ジュリアン、原マルチノ、そして千々石(ちぢわ)ミゲルでした。

1585年、使節団はイタリアのリヴォルノに到着しますが、そこはトスカーナ大公の管轄地であり、大公フランチェスコ1世は、彼らをピサの宮殿に招待し、夜には、トスカーナ大公妃、ビアンカ・カッペッロが舞踏会に招待しました。
当時、他のヨーロッパ王家に匹敵するほどの富と権力を持っていたトスカーナ大公国の舞踏会は、公式行事に招かれたと考えてもいいことでした。

ダンスは、みんなで踊ったあと、男性が女性をダンスに誘い、次に残された女性が、今度は男性を誘っていく、というスタイルで進みました。

この日は、大公の弟であるピエトロ・デ・メディチがエスコート役を務め、大公妃がその相手となり、ダンスがはじまりました。
次に大公妃は、伊藤マンショを相手役に選び、マンショは、別の貴婦人を選び、彼女は、千々石ミゲルを選ぶというふうに、原マルチノ、中浦ジュリアンと続いたのですが、最後のジュリアンが選んだ女性は、ダンスはまだ踊れるかしらという年配の女性をを選んでしまい、その場には、ほほえましい笑いが起こったと記録にあります。

実際にこの頃のダンスを踊ってみると、ステップは簡単なものであっても、大勢の人の注目の中、美しく踊り、また状況をよく見て、ふさわしいパートナーを選んでいくのは、なかなか緊張を強いられるものです。

きっとはじめて聞いたであろうルネッサンスダンスの音楽や、目にしたステップに戸惑いつつも、無作法にならないように気遣いを見せた少年たちは、立派だったと思います。

ベジャールとジョルジュ・ドン

2017.11.20ダンス

バレエの振付家であったモーリス・ベジャールが亡くなって、もう10年が過ぎたのですね。モーリス・ベジャール・バレエ団が今月、ベジャール・セレブレーションの公演をしています。

春の祭典、ザ・カブキ、M、ライト、ボレロをはじめ、ベジャール振り付けの作品がたくさんありますが、はじめて見たベジャールの作品は、ジョルジュ・ドンとマイヤ・プリセツカヤが踊った、「レダ」でした。「レダ」は、ギリシャ神話のスパルタ王の妻レダに心を奪われたゼウスが、白鳥に姿を変え愛したという話しですが、このストーリーは昔から芸術作品のモティーフとして、よく使われてきました。実際の作品は残っていませんが、ダ・ヴィンチやミケランジェロも習作やスケッチを残し、別の人がそれを元にした作品もあります。日本では、東郷青児が「レダ」という題名の絵を残しています。

「レダ」はプリセツカヤが「瀕死の白鳥」の時のように舞台に現れて踊りはじめるのですが、いままでにないバレエの振り付けとジョルジュ・ドンのダンスにくぎ付けになり、他のトップダンサー達のダンスが消えてしまいました。
ジョルジュ・ドンは何度か日本に来て公演をしましたが、結局「ニジンスキー神の道化」という作品が最後の舞台となってしまいました。それは、アルゼンチンの女優との共演で バレエ作品というよりも演劇性の強い作品で、劇中、何度か舞台のジョルジュ・ドンが「ニジンスキー」と叫んだ声は今も憶えています。 

クロード・ルルーシュ監督の「愛と哀しみのボレロ」は1981年製作の映画ですが、2015年にデジタルリマスター版を劇場で見たとき、新たに感動してしまいました。映画の後半に踊るジョルジュ・ドンのボレロはすばらしく、今までにシルヴィ・ギエム、首藤康之、プリセツカヤなどベジャールが選んだダンサーがボレロを踊っていますが、ジョルジュ・ドンのボレロには、心が惹きつけられてしまいます。見る側もいろんな経験を通し、感動の密度が違ってきているのかもわかりません。

ベジャールから指導を受けた首藤康之さんが、ベジャールは振り付けのあいだ、とても美しい言葉で話すと印象を語っていましたが、ベジャールの哲学が感じられて、素敵なエピソードとして忘れられません。