ルネッサンスダンスを踊った天正遣欧使節団

2018.7.25ダンス

来月8月1日から、第15回目となる世界バレエフェスティヴァルが、東京で始まります。
ノエラ・ポントワ、カルラ・フラッチ、マイヤ・プリセツカヤ、ジョルグ・ドンをはじめ、世界のトップダンサー、そしてベジャールの作品もこのフェスティヴァルがきっかけで一度に見ることができ、その感動は、いまも強く残っています。

現代バレエの元を辿っていくと、ルネッサンスやバロックの頃のダンスになりますが、16世紀に、このルネッサンスのダンスを目にし、体験した日本人がいます。

それは、天正遣欧使節で派遣された少年4人、伊藤マンショ、中浦ジュリアン、原マルチノ、そして千々石(ちぢわ)ミゲルでした。

1585年、使節団はイタリアのリヴォルノに到着しますが、そこはトスカーナ大公の管轄地であり、大公フランチェスコ1世は、彼らをピサの宮殿に招待し、夜には、トスカーナ大公妃、ビアンカ・カッペッロが舞踏会に招待しました。
当時、他のヨーロッパ王家に匹敵するほどの富と権力を持っていたトスカーナ大公国の舞踏会は、公式行事に招かれたと考えてもいいことでした。

ダンスは、みんなで踊ったあと、男性が女性をダンスに誘い、次に残された女性が、今度は男性を誘っていく、というスタイルで進みました。

この日は、大公の弟であるピエトロ・デ・メディチがエスコート役を務め、大公妃がその相手となり、ダンスがはじまりました。
次に大公妃は、伊藤マンショを相手役に選び、マンショは、別の貴婦人を選び、彼女は、千々石ミゲルを選ぶというふうに、原マルチノ、中浦ジュリアンと続いたのですが、最後のジュリアンが選んだ女性は、ダンスはまだ踊れるかしらという年配の女性をを選んでしまい、その場には、ほほえましい笑いが起こったと記録にあります。

実際にこの頃のダンスを踊ってみると、ステップは簡単なものであっても、大勢の人の注目の中、美しく踊り、また状況をよく見て、ふさわしいパートナーを選んでいくのは、なかなか緊張を強いられるものです。

きっとはじめて聞いたであろうルネッサンスダンスの音楽や、目にしたステップに戸惑いつつも、無作法にならないように気遣いを見せた少年たちは、立派だったと思います。

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