ストレスと気ごごろ

2022.4.27よしなしごと

自分に深く集中できたとしても、ひとに対するストレスは、まつわりつくように、存在しています。

ひとりは気楽だけれど、こころを向けると、さみしい思いをすることがあります。

むかし、ジョルジュ・ムスタキが、「わたしの孤独」という、シャンソンを歌っていましたが、そのなかの、「さみしくないわ、孤独と一緒だから」という、孤独を取り込んでしまう歌詞が、深くこころに残っています。

人といるとき、部屋を離れたとしても、その、ひとの気配がとても気になってしまいます。

別に、ぎくしゃくしてる人間関係でもないのに、理由はどこにあるのか、すると、お互いに気ごころが知り得てるせいではないのかと、思い至りました。

気ごころが知れるのは、親しさが深まり、また、そのことに、おたがいが安心感をもったりと、良い印象がありますが、その通りなのでしょうか。

気ごころが知れるのは、もしかすると、かなしみを伴うことではないのか、

想像のなかで、一人、折り合いをつけることで、まっすぐに向かうはずであった気持ちの表現が、もやもやに変わって
しまうのだから。

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