葉っぱが紅茶になるまで

2018.10.5紅茶

紅茶は、摘み取った葉をしばらく置いてしおらせ、その葉を揉み、葉の汁を出します。
それを酸素に触れさせておくと、発酵が進み、紅茶ができるというわけです。
この工程を機械化すると、16~18時間で紅茶になります。

一般的な紅茶の作り方です。
萎凋(いちょう)Withering
一芯二葉や一芯三葉で摘んだ葉を萎らせた後、水分を40~50%蒸発させ、揉みやすくします。

揉捻(じゅうねん)Rolling
葉をねじり、細い棒状に形を変え、細胞や組織をつぶして、葉汁を出します。
葉の表面から、酸化発酵の触媒をつとめる酵素、ポリフェノール等が出て来て、活性し始めます。
そしてさらに葉汁に含まれるポリフェノール化合物や葉緑素が酸化発酵をし始めます。
この結果、紅茶の味、香り、水色が作り出されて、紅茶の風味が作られます。

ローターバンRotorvane
その後、葉をさらに細かくカットすることで、多くの葉汁が出て、発酵していきます。

玉解きとふるい分けRoll breaker
ふるい分けることで、葉が酸素と触れ、発酵しやすくなります。

酸化発酵Fermentation
この工程で、紅茶の香味が出てきます。

乾燥Drying
茶葉の発酵を完全に止め、紅茶が完成します。

もうひとつ、顆粒状になった紅茶があります。CTC茶といいます。
1930年代に始まった製法で、インドのアッサムやドアーズで拡がっていきました。
葉を萎凋、揉捻した後に、crush(押しつぶす)、tear(引きちぎる)、curl(粒状に丸める)ということができる機械を通すわけです。
葉は、粒状に、丸くなって出てきた後、酸化発酵、乾燥を経て、紅茶になります。
この紅茶は、ケニアでもよく生産されています。
渋みが少なく、普通の茶葉よりも早く抽出できるので、チャイやティーバッグによく使われています。

インドチャと中国チャとその種類

2018.10.4紅茶

元々は、紅茶も緑茶もウーロン茶も「チャの木」というツバキ科の常緑樹を原料にしています。
学名を「カメリア シネンシス」(camellia sinensis)といい、カメリアはツバキのこと、そしてシネンシスは中国種という意味です。

チャの木は強く、そのままにしていると、どんどん成長し、10mを超える大木になってしまいます。
お茶は手摘みなので、1mぐらいの高さに、剪定します。

葉は「中国チャ」と「インドチャ」のふたつにわかれます。

中国チャは、葉の形が小ぶりで、6~9cmの長さ、幅は3~4cmで、葉先は丸みを帯び尖っていません。
葉の表面には、つやがあり、繊維は密です。
寒さに強い温帯種で、緑茶に適します。

インドチャは、葉の形は大きく、長さは12cm以上、幅は4~5cmあり、葉先は、細長く尖った楕円形をしています。
表面は、淡い緑色で、でこぼこし、繊維は粗くなっています。
インドチャ(アッサム種)は、熱帯種で、寒さに弱いですが、発酵いやすい大きい葉なので紅茶に適します。

お茶の製法から分けてみると、3つに大別されます。
発酵させない日本のお茶は玉露、お煎茶、ほうじ茶の種類があります。
中国茶では、龍井茶(ろんじんちゃ)と清茶(せいちゃ)があります。

発酵を製茶の途中で止めた半発酵茶には、ウーロン茶(鉄観音や水仙)と白茶(パイチャ)があります。

紅茶は酸素に触れさせて酸化発酵をさせたお茶です。
発酵茶としては、世界三大銘茶のひとつである、キーマン茶や他に工夫紅茶(コンフウ紅茶)や小種(ショウシュ)がふくまれます。

製法の違いで風味が変わり、緑茶やウーロン茶は主にアジアや中国を中心に、ヨーロッパ、アメリカ、ロシアでは、紅茶というそれぞれの文化が発達していくことになりました。

シルヴィ・ギエムとマルセル・マルソー

2018.9.15ダンス

2015年の大晦日、「ボレロ」を踊り、引退してしまったシルヴィ・ギエムですが、彼女と同じ時代に生き、そしてそのダンスを見てきたことは、幸せなことでした。

クラシックの作品はもちろんですが、モダンの作品も、好きでした。
ラッセル・マリファントとのデュエットの「push」や彼の振り付けの「two」、特に「two]では、舞台の中央からほとんど動くことはなく、音楽のバスの音とギエムの腕の動きは、意味を探す間もなく惹きつけられるばかりで、とても感動したことを憶えています。

スウェーデン出身のマッツ・エックの振り付けの作品、「Bye」 は、ステージの中央に真っ白いスクリーンを置き、ブラウスとスカート姿のギエムが、現在の自分自身から内面の対話を通して、さらに新しい自身へ移っていく、そんなストーリーでした。
音楽は、ベートーベン最後のピアノソナタ、32番の2楽章で、作品名と内容にふさわしい選曲と思いました。

この作品でのギエムの手の動きや白いスクリーンを見たときに、マルセル・マルソーのパントマイムを思い出しました。
マルソーの舞台は、二部に分かれており、一部は人生のシーンを表現したスタイルのマイム、もう一部はマルソーが創造したビップが主人公のパントマイムでした。

京都の南座では、花道を使って、ビップが堂々と登場した「ビップの猛獣使い」、モーツァルトのピアノ協奏曲21番の美しい2楽章をバックにたくさんの生きものが生み出された「天地創造」、そして「仮面造り」はとても人気で、プログラムを持つ人が、舞台の中央でポーズを決めた瞬間に、拍手がとどろくように沸きおこったこと、そしてその夜の「仮面造り」は、観客の反応を、マルソーがとても楽しんで演じていたのがよくわかる感動的な舞台で、その後のカーテンコールの熱狂は、いままでに体験したことのないものでした。

わたしは、「木」が好きでした。
「木」が見てきたもの、経験したことを象徴する「木」の人生のマイムだと思っていました。
この作品の最後では、マルソーの「木」は、後ろに大きくえびぞりになって倒れたと思っていたのですが、舞台を間近で見たときのことです。
後ろに倒れたはずのマルソーの頭は、舞台の床から20cmほど離れ、静止していたのです。
「レジスタンスは、美しい」 沈黙の詩人のことばを感じました。

マルソーの舞台を見たことは、作品の感動だけではなく、それを通した先の芸術の本質を教えてくれるものでした。