空海と飛白体(ひはくたい)

2018.4.20よしなしごと

朝早く起きた時、筆を持つことがあります。
決して上手ではないのですが、墨をすったり、文字を書くと、とても気持ちよく過ごせます。
普段は、横書きにしているせいか、縦に書くのは、なかなか思うようにはいきません。

書家の石川九楊さんが、日本語を横書きにするのは、英語を縦書きするようなものと言われました。
横書きは、記号のやりとり、単なる通信文であり、縦書きにすることで、ちゃんとした文章にしようとする意識が生まれ、それにより心持ちが違ってくるとまで言われます。

「平安の三筆」と言われている人は、嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなの はやなり)そして、空海ですが、その空海が書いた書体のひとつにとても惹かれています。
空海が勉強したという王羲之(おうぎし)の書ではなく、それ以前に存在していたという、飛白体です。
空海はこの飛白体も唐から持ち帰りました。

書家の岡本光平さんによると、空海は普通の筆ではなく、竹や板の切れ端のような平たい道具を使って書いたようです。
それはシフォンのやわらかい布が翻ったような、リボンが踊っているようなとてもデザイン性の高い書です。

単に文字を書くのではなく、例えば「木」を書くのに、本来の存在を表現するために、中央の線を根っこから生えているように、下から書いた飛白体に感動しました。

水鳥

2018.4.18よしなしごと

若葉の美しい季節になってきました。

家の近くの川は、そんなに大きくないのですが、水は澄んでいて、ゆっくり流れています。
雨が降ると、何ヶ所かある堰からの水の流れが増えて、清々しい感じがします。
そんな小さな川に小鳥がやってきます。
カルガモ、セグロセキレイ、コサギ、そして、カワセミもやってきます。

カルガモは、いつも2羽が一緒にいます。ルールのように、一緒です。
コサギは真っ白で、いつもひとりでいます。たまに、同じ仲間のところに向かって飛ぶことがありますが、すぐにひとりになります。

セキレイは、英語で“wagtail” といわれますが、wag-長い尾を上下に振ります。

北斎展に行ったときのことです。
セキレイが描かれていたのですが、特徴のある長い尾を見た人から、「あんな鳥、いるかしら」と声が上がっていたのを、思い出しました。
いつも見ているセキレイだったので、描写の正確さとすこし、北斎に親近感を持ちました。

カワセミは、頭が鮮やかな青、瑠璃色のようで、胸のあたりはだいだい色、くちばしは長く、尾は短い鳥です。
漢字では、「川蝉」と表示したり、「翡翠」と書いたりします。「翡翠」という言葉は、羽の色に由来します。
「渓流の宝石」とも 「空飛ぶ宝石」と称される、とても美しい鳥です。

英語では、”kingfisher”と言う様に、お魚を取るのが上手で、カワセミは雄が雌にお魚をプレゼントするそうです。

カワセミについては、長く、誤解していました。
童謡で、「わらいかわせみに、話すなよ」という、サトーハチロー作詞、中田喜直作曲の作品がありますが、それと同じだと思っていたのです。

たぬきのね、たぬきのね、坊やがね、
おなかにしもやけできたとさ
わらいかわせみに話すなよ
ケララ ケラケラ ケケラケラ とうるさいぞ

わらいかわせみとカワセミでは、まったく鳴き声が違っていました。

「影をなくした男」とシューマン

2018.3.22よしなしごと

冬にもどったかのようなお天気ですね。
昨日も一昨日も、夜中は風の強く吹く音が聞こえていました。
部屋をあったかくして、本を読んでいます。

河合隼雄の「影の現象学」という本の中にも出てきますが、シャミッソーの「影をなくした男 ペーター・シュレミールの不思議な冒険」という、すこし、メルヘンのかおりのする、短編小説です。

もう200年以上も前のお話しで、シャミッソー自身も平らではない人生を送った人です。
フランスの貴族の子として生まれますが(1781~1838)、フランス革命で、貴族の位を剥奪され、亡命し、ベルリンに辿りつきます。
革命末期からのナポレオンの戦いがプロイセンに及び、ナポレオンに抵抗した彼は、プロシア軍仕官として、祖国フランスと戦います。
フランスとドイツを行き来しましたが、それは彼が9才のときからの、亡命と漂泊の日々といっていいと思います。

彼は、のちに植物を研究し、植物学者になりましたが、文学、詩人としてのシャミッソーの名前が、シューマンの作品にあります。

1840年、この年、シューマンはクララ・ヴィークと結婚しました。
シューマンは、歌曲を作曲します。
「詩人の恋」、「リーダークライス」、「女の愛と生涯」、この年は、シューマンにとって、結婚の年であり、歌曲の年でもありました。
この中の、「女の愛と生涯」の詩が、シャミッソーの手になるものでした。