インドチャと中国チャとその種類
2018.10.4紅茶
元々は、紅茶も緑茶もウーロン茶も「チャの木」というツバキ科の常緑樹を原料にしています。
学名を「カメリア シネンシス」(camellia sinensis)といい、カメリアはツバキのこと、そしてシネンシスは中国種という意味です。
チャの木は強く、そのままにしていると、どんどん成長し、10mを超える大木になってしまいます。
お茶は手摘みなので、1mぐらいの高さに、剪定します。
葉は「中国チャ」と「インドチャ」のふたつにわかれます。
中国チャは、葉の形が小ぶりで、6~9cmの長さ、幅は3~4cmで、葉先は丸みを帯び尖っていません。
葉の表面には、つやがあり、繊維は密です。
寒さに強い温帯種で、緑茶に適します。
インドチャは、葉の形は大きく、長さは12cm以上、幅は4~5cmあり、葉先は、細長く尖った楕円形をしています。
表面は、淡い緑色で、でこぼこし、繊維は粗くなっています。
インドチャ(アッサム種)は、熱帯種で、寒さに弱いですが、発酵いやすい大きい葉なので紅茶に適します。
お茶の製法から分けてみると、3つに大別されます。
発酵させない日本のお茶は玉露、お煎茶、ほうじ茶の種類があります。
中国茶では、龍井茶(ろんじんちゃ)と清茶(せいちゃ)があります。
発酵を製茶の途中で止めた半発酵茶には、ウーロン茶(鉄観音や水仙)と白茶(パイチャ)があります。
紅茶は酸素に触れさせて酸化発酵をさせたお茶です。
発酵茶としては、世界三大銘茶のひとつである、キーマン茶や他に工夫紅茶(コンフウ紅茶)や小種(ショウシュ)がふくまれます。
製法の違いで風味が変わり、緑茶やウーロン茶は主にアジアや中国を中心に、ヨーロッパ、アメリカ、ロシアでは、紅茶というそれぞれの文化が発達していくことになりました。
シルヴィ・ギエムとマルセル・マルソー
2018.9.15ダンス
2015年の大晦日、「ボレロ」を踊り、引退してしまったシルヴィ・ギエムですが、彼女と同じ時代に生き、そしてそのダンスを見てきたことは、幸せなことでした。
クラシックの作品はもちろんですが、モダンの作品も、好きでした。
ラッセル・マリファントとのデュエットの「push」や彼の振り付けの「two」、特に「two]では、舞台の中央からほとんど動くことはなく、音楽のバスの音とギエムの腕の動きは、意味を探す間もなく惹きつけられるばかりで、とても感動したことを憶えています。
スウェーデン出身のマッツ・エックの振り付けの作品、「Bye」 は、ステージの中央に真っ白いスクリーンを置き、ブラウスとスカート姿のギエムが、現在の自分自身から内面の対話を通して、さらに新しい自身へ移っていく、そんなストーリーでした。
音楽は、ベートーベン最後のピアノソナタ、32番の2楽章で、作品名と内容にふさわしい選曲と思いました。
この作品でのギエムの手の動きや白いスクリーンを見たときに、マルセル・マルソーのパントマイムを思い出しました。
マルソーの舞台は、二部に分かれており、一部は人生のシーンを表現したスタイルのマイム、もう一部はマルソーが創造したビップが主人公のパントマイムでした。
京都の南座では、花道を使って、ビップが堂々と登場した「ビップの猛獣使い」、モーツァルトのピアノ協奏曲21番の美しい2楽章をバックにたくさんの生きものが生み出された「天地創造」、そして「仮面造り」はとても人気で、プログラムを持つ人が、舞台の中央でポーズを決めた瞬間に、拍手がとどろくように沸きおこったこと、そしてその夜の「仮面造り」は、観客の反応を、マルソーがとても楽しんで演じていたのがよくわかる感動的な舞台で、その後のカーテンコールの熱狂は、いままでに体験したことのないものでした。
わたしは、「木」が好きでした。
「木」が見てきたもの、経験したことを象徴する「木」の人生のマイムだと思っていました。
この作品の最後では、マルソーの「木」は、後ろに大きくえびぞりになって倒れたと思っていたのですが、舞台を間近で見たときのことです。
後ろに倒れたはずのマルソーの頭は、舞台の床から20cmほど離れ、静止していたのです。
「レジスタンスは、美しい」 沈黙の詩人のことばを感じました。
マルソーの舞台を見たことは、作品の感動だけではなく、それを通した先の芸術の本質を教えてくれるものでした。
縄文と岡本太郎
2018.8.30よしなしごと
今、東京国立博物館で、「縄文ー一万年の美の鼓動」が開かれていますね。
国宝の土偶を見たことがあります。
「縄文の女神」と名付けられた土偶は、とてもスマートで、スタイルも良く、キリッとしていました。
「縄文のビーナス」と名付けられたものは、女性のやわらかい線の作品で、ちょっとユーモラスで素敵でした。
一万年以上も前に、こういう作品ができていたことに、本当にびっくりしてしまいました。
縄文の人は、土木も行い、日の出や、日の入りもチェックし、季節を理解し、暮らしていたといいます。
一万年以上もまえに?と再び問いたくなります。
人間は、進歩、進化しているのではないか。
大阪万博公園にある「太陽の塔」は、不思議な塔です。
最初に見た時は、その大きさにびっくりし、呆気にとられた印象が強くありました。
その後も、何度か見る機会があったのですが、印象がどんどん変わっていったのです。
だんだんなつかしいような、でも何か強く、こころに近づくものを、感じるようになっていました。
「太陽の塔」は、「人類の進歩と調和」を掲げた、万博のシンボルのために、岡本太郎が作ったと思っていました。
彼は、テーマとは反対に、「進歩」ではなく、人間が、根本的に生きること、その時に、何を信じ、何を取り戻すのか、その表現が、「太陽の塔」だったのです。
岡本太郎は、半世紀も前に、縄文土器や火焔土器の装飾性の美しさに気づき、生きるエネルギー、力強さに強く衝撃を受けたといいます。
また、この生命力は、日本人の祖先が誇った美意識だとも述べました。
それは、今も私たちのからだの底ふかくに、ひそんでいると。
彼は、縄文土器の芸術性を発見した人でした。