19世紀に現れたトーマス・リプトン

2018.7.5紅茶

19世紀は、紅茶がイギリスに出回り、云わば、生活に欠かせないような飲み物になった時代です。

1850年に生まれたトーマス・リプトンは、15才でアメリカに渡り、そこでいろいろな仕事を経験し、19才で故郷のスコットランドに戻ってきます。
リプトンの実家は、バターやハムを売る小さなお店を開いていましたが、リプトンはそこから独立し、30才になる頃には、20店舗以上のお店を持つに到っていました。
しかしリプトンの思いは、庶民の間でも日常的になっていた紅茶をどうにか扱いたいということでした。
安く売る、人々の口に合うおいしい紅茶を売りたい、量り売りではなくパック詰めで売る、そして、土地の水質で紅茶の風味が変わることを知っていたリプトンは、その水質にあわせたブレンドを考えたいと願っていました。

40才前に、リプトンはセイロン島に渡ります。
そこで自分の茶園を手に入れ、新鮮な紅茶の供給に乗り出したのです。
リプトンの頭にあったのは、母の教え、つまり、「生産物は生産者から買う」ということでした。
「direct from the tea garden to the teapot」、すなわち、「紅茶園から直接ティーポットへ」を実践したのです。

リプトンのおかげで、紅茶の価格は安くなり、しかも大量に売り出されるようになったので、ますます日常に必要な飲み物になっていきました。

19世紀の半ば過ぎには、イギリスはインドでアッサム茶の栽培に成功し、それがイギリス東インド会社により、ロンドン市場に出回ってきました。 
濃厚で味わい深く、コクがあり、厳しい労働条件の中で働く人々にとって、ホッとする刺激の強い味でもあったのです。
このダークな水色は、ミルクを加えるとおいしそうなブラウンとなり、ますます庶民の生活に不可欠な飲み物になっていきました。

人々の口に合う紅茶のブレンドの開発や、イギリスの茶貿易における功績で、リプトンは後に、ヴィクトリア女王から「サー」の称号を受けました。

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