新酒番船とティークリッパー

2017.10.11紅茶

先日、テレビの番組で兵庫県西宮市の酒造会社が行う新酒の仕込みについて放送がありました。10月1日は「日本酒の日」だそうで、西宮では、新酒の仕込みが始まる10月の第一土曜日に宮水への感謝とこれからはじまる酒造りの無事と良い出来栄えを祈願して西宮神社(新年の福男で有名)で神事を行うそうです。西宮の白鷹酒造のお酒は、伊勢神宮の御料酒で、おはらい町で試飲もできるそうです。

番船というのは、江戸時代に江戸の港に入港する順番を競った樽廻船のことです。上方から一番に江戸に運ばれた酒は、高値で買ってもらえるため灘の酒造家は先を競って船を走らせました。

お酒を競争して運ぶという話が、同じく紅茶を競って中国からイギリスに運んだティークリッパーと重なり大変興味をもちました。
クリッパーというのは大型の帆船のことで、従来は、およそ一年半から二年かかって運んでいた紅茶が3ヵ月から4ヵ月で運ぶことができ、最初に届けられたその年の一番茶は、新酒と同じで、高値で取引されました。

三本マストの快速船は、中国から南シナ海、インド洋、アフリカの喜望峰から大西洋を北上し、ロンドンを目指しました。ティークリッパーの中で、有名なのは、カティーサークです。ウィスキーのカティーサークのラベルがその帆船です。イギリス快速帆船として期待されたカティーサークでしたが、1869年11月17日にスエズ運河が開通し、進水式をしたのは、そのすぐあとの11月22日で、華々しい活躍もなく、帆船時代は終わりを迎えることになります。スエズ運河は無風で、帆船が通過できないため、紅茶の輸送は蒸気船に移っていったのです。1878年、カティーサークはティークリッパーとしての役割から引退しました。

カティーサークというのは、スコットランドの言葉で短い下着(短いシュミーズ)という意味です。農夫が魔女に出会ったというスコットランドの物語があります。

農夫が馬で家路を急いでいたとき、魔女が集まり踊りに夢中になっているところに出くわし、農夫はその中のカティーサークを身にまとった若い魔女のナニーに声をかけたところ、驚いた魔女がいっせいに追いかけてきました。特にナニーは足が速く、川岸に農夫がたどり着き、川に飛び込もうとした瞬間、ナニーは追いついた馬の尻尾を左手で引き抜いてしまいました。それでもナニーは川に飛び込んだ農夫と馬を、捕まえることはできなかったのです。ナニーの足は速かったのですが、水が嫌いだったのです。

このナニーの速さと水が嫌いで入らない、つまり沈まないという話から、カティーサークの船首には左手に馬のしっぽを持ったナニーの姿が取り付けられていました。

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