古典の日と雅楽

2018.11.5よしなしごと

2008年11月1日に、「源氏物語」千年紀を記念して、「古典の日」が設けられました。
その日にちなみ、雅楽と平安時代やその文学のお話しがありました。

平安時代に入ると、詩歌管弦は習得すべき教養となり、朝廷での儀礼では、演奏されることも多く、管弦(雅楽)は、天皇や貴族にとり帝王学のひとつとして捉えられていました。
古代では和琴が、そして平安時代では笛が、平安後半から鎌倉にかけては琵琶が、そして室町時代は笙が、皇位の象徴として扱われました。

村上天皇(在位946~967)が966年10月7日に催された舞楽が、源氏物語の「紅葉賀(もみじのが)」でのモデルになったといわれています。
桐壺帝の祝宴の準備のために、左大臣家の頭中将と源氏が、「青海波(せいがいは)」を帝と御簾の向こうにいる藤壺宮の前で、美しく舞ったと描かれています。

また、枕草子の218段には、清少納言がなにを「いとをかし」と感じているのかという文章があります。

笛は横笛、いみじうをかし
笙の笛は、月のあかきに黒真などにて 聞きえたる いとをかし
篳篥は いとかしがましく 秋の蟲をいはば 轡蟲(くつわむし)などの心地して うたてけぢかく 聞かまほしからず
秋の蟲をこれにたとえるならば 不快で そば近く聞く気はしない

篳篥の音色は、人の声、つまり地上の音と表現されますが、平安時代には、大篳篥もあったそうで、雅楽の演奏者の間では、清少納言が「いとをかし」と指していたのは、大篳篥ではないかといわれています。

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