アフタヌーンティーのはじまり

2017.9.18紅茶

アフタヌーンティーが、生まれたとされる1840年頃は、どのような時代だったのでしょうか。

ロンドンの北、ベッドフォード公爵邸でアフタヌーンティーは生まれました。
ブルードローイングルーム(応接間)で、7代目のベッドフォード公爵夫人のアンナマリア(1788~1861)が、午後に紅茶と軽食を食べることを始めたのでした。

当時の貴族の朝食は、フレッシュジュース、たまご料理、ハムソーセージや干し魚、パンや果物と、ボリュームがありましたが、お昼は、ほとんど食べませんでした。
この頃の習慣で、召使は午後はお休みとなっていたのです。
代わりに、お昼には、バスケットにパンやビスケット、干し肉や果物、飲み物を持ち、ピクニックに出かけることが、多くありました。

夜は社交を兼ねた音楽会や観劇があり、食事はそのあとに、8時から9時にかけてと、遅いものでした。
ディナーまでの空腹を抑えるために、アンナマリアは、4時頃に、焼き菓子やバターをつけたパンを紅茶と一緒に食べることを始めました。
そして、訪ねてきた客にも、同じように紅茶と軽食でもてなしたことが、アフタヌーンティーの始まりであり、当時の社交界で好評となったのです。

1837年から1841年まで、アンナ・マリアはヴィクトリア女王の女官をしていました。
1837年というのは、ヴィクトリアが即位した年であり、トワイニング社が王室御用達になった年でもあります。
ヴィクトリアはこのアフタヌーンティーを正式なお茶会と認め、上流社会に拡がっていきました。

この頃は中国からの紅茶も、そしてイギリス人がアッサムで1823年に茶樹を発見してから、アッサムで作った紅茶もイギリス国内で出回っており、もはや紅茶を富の象徴として、見せびらかすのではなく、紅茶と食べ物をたのしむ時代になっていました。

このアフタヌーンティーは貴族の世界から一般家庭にも伝わりました。
そして現代の日本でも、名前は知られていなくても、肖像画のアンナマリアを日常に目にすることができます。
キリンのペットボトル、「午後の紅茶」のラベルの女性が、アンナマリアです。

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