フェルメールと福岡伸一

2018.10.20よしなしごと

いま、東京の上野の森美術舘でフェルメールの展覧会が開催されていますね。
生物学者の福岡伸一教授が、とてもフェルメールがお好きで、たくさん文章を書かれています。

福岡先生が、子供の頃に買ってもらった顕微鏡を作った人が、オランダのレーウェンフックという人で、1632年10月24日に、デルフト焼きで有名な地に生まれています。フェルメールも1632年に4日違いに、同じ地で生まれています。
同じ教会で洗礼も受けています。

レーウェンフックは顕微鏡のレンズの中に光を見極めようとしました。
フェルメールは、左からの光に、正確に遠近法を描きだしました。
そんな光を意識した人がもうひとり、同じ年に生まれています。
哲学者のスピノザです。
レンズに興味を持ったスピノザは、レンズ職人でありつつ、哲学を研究していました。
1632年は、光がポイントのマジックイヤーと言えるかもしれません。

フェルメールとレーウェンフックとの交流を示す手がかりは、残されていませんが、フェルメールが亡くなった時、レーウェンフックが彼の遺産の管財人をしたという記録は残っているそうです。

フェルメールの絵には、常に動きがあるということ、手紙を読む女性の目線や楽器を奏でる手が止まったとき、フェルメールはそこに至る時間とそこからはじまる時間を絵のなかに、表現しようとしました。
福岡先生のフェルメールに対する思いも持ちながら、展覧会を楽しみたいと思います。

そんな1600年代は、ヨーロッパにお茶が伝わった時代でもありました。
1610年には、オランダ人がマカオと平戸で緑茶を買い、ジャワのバンタム経由で、ハーグに送ったという記録があります。
そしてそこから、オランダでお茶を飲むことが、広まっていったのです。

東山魁夷展と京都あちこち

2018.10.11よしなしごと

先日、京都の国立近代美術館へ、生誕110年東山魁夷展を見に行ってきました。

朝早い時間に阪急河原町に着いたので、ブランチとして、烏丸御池のイノダコーヒー本店で、食事をすることにしました。
ラッキーなことに、旧館に案内され、クラシックな洋館の中で、時間を過ごすことができました。
おなかがすいていたので、その日はボリュームのあるクラブハウスサンドを注文し、ここでは紅茶ではなく、アラビアの真珠というモカがベースになった深煎りのコーヒーにしました。
注文の時に、「お砂糖とミルクを入れてもいいですか」と聞いてくれるので、そのようにお願いすると、おいしく頂けます。
クラブハウスサンドはとてもボリュームがあるので、人と分けても充分な量です。
トイレに向かう通路には、鳥かごがあって、インコがいますよ。ちょうど女性の方がお世話されていました。

バスに乗らず、歩いて美術舘に行きましたが、10分ぐらいで着きます。
朱色の大きな大鳥居が見えてくると、ホッとします。
人気なので、混み具合が気になっていたのですが、列もなく、スムーズに入れました。
たくさんの作品の中、白い馬のいる風景や、「冬華」のタイトルで有名な冬の太陽と白い大きな木、「花明かり」やいろんな作品にある「青」の色がとても好きです。
混んではいなかったので、作品に近づいてみることも出来、また、唐招提寺の御影堂障壁画は、長い時間をそこにいると、鑑真にこの風景を見せたいと描いた自然が、とても力強く感じられました。
長野県の善光寺に行くと、すぐそばに東山魁夷館があり、旅先で見る絵も、とても素敵でおすすめです。

帰りは、すっかり観光客モードになり、鳩居堂で和紙でできた箱やかわいい封筒を買い、せっかく近くまで来たからと 俵屋さんのギャラリー遊形まで足をのばしてみました。
お店の香りに惹かれて、有名な石鹸を買いました。200余の香りをブレンドしているそうです。
ベルガモット、ローズ、サンダルウッド、ジャスミン、パチュリー、ラヴェンダー、ラブダナブ、ムスクなど、天然香料がたくさんです。

使ってみると、とてもキメの細かい泡立ちで、洗顔にも使っています。
小さな石鹸ですが、水分に溶けることなく、長持ちしています。
香りゆたかなので、洗面所にもゴールドの包み紙そのまま置いています。

珍しいぐらい観光客が少なくて、ゆったりと満足な一日が過ごせました。

縄文と岡本太郎

2018.8.30よしなしごと

今、東京国立博物館で、「縄文ー一万年の美の鼓動」が開かれていますね。

国宝の土偶を見たことがあります。
「縄文の女神」と名付けられた土偶は、とてもスマートで、スタイルも良く、キリッとしていました。
「縄文のビーナス」と名付けられたものは、女性のやわらかい線の作品で、ちょっとユーモラスで素敵でした。
一万年以上も前に、こういう作品ができていたことに、本当にびっくりしてしまいました。

縄文の人は、土木も行い、日の出や、日の入りもチェックし、季節を理解し、暮らしていたといいます。
一万年以上もまえに?と再び問いたくなります。
人間は、進歩、進化しているのではないか。

大阪万博公園にある「太陽の塔」は、不思議な塔です。
最初に見た時は、その大きさにびっくりし、呆気にとられた印象が強くありました。
その後も、何度か見る機会があったのですが、印象がどんどん変わっていったのです。
だんだんなつかしいような、でも何か強く、こころに近づくものを、感じるようになっていました。

「太陽の塔」は、「人類の進歩と調和」を掲げた、万博のシンボルのために、岡本太郎が作ったと思っていました。
彼は、テーマとは反対に、「進歩」ではなく、人間が、根本的に生きること、その時に、何を信じ、何を取り戻すのか、その表現が、「太陽の塔」だったのです。

岡本太郎は、半世紀も前に、縄文土器や火焔土器の装飾性の美しさに気づき、生きるエネルギー、力強さに強く衝撃を受けたといいます。
また、この生命力は、日本人の祖先が誇った美意識だとも述べました。
それは、今も私たちのからだの底ふかくに、ひそんでいると。
彼は、縄文土器の芸術性を発見した人でした。