断捨離がもたらした心の変化
2022.9.23よしなしごと
よく見るテレビ番組に、「ウチ、”断捨離”しました!」があります。
前回放送分は、圧巻でした。
提唱者のやましたひでこさんがおっしゃっている、断捨離は単に捨てることではなく、断つ、捨てる、離れるをすることで、人生が変わったといくということを、体現されたご家族が登場されました。
子どもが生まれるとタンスを贈るという習慣のある所で、家に20棹のタンスがあるという、おどろきの状況のなか、ご夫妻の居場所を作るという目標を掲げ、断捨離はキッチンからはじまりました。
最初に、ご主人が躊躇なく手にした、たくさんのお客様用おはしの処分に、ご自身の気持ちの中にかくれていたであろう人間関係をおもってしまいました。
呆然とするぐらいの食器や調理器具の処分、見通しの良くなったキッチンの窓、明るくスッキリしたダイニングでおしまいではなく、それから弾みがついたように、たくさんあるタンスや大量のものを処分されていきました。
見ている者にも、部屋が明るく、おうちがどんどん軽くなっていく様子がよく伝わりました。
「気がつかなかったけれど、辛抱していたんですね」という言葉や「物って、圧迫するんですね、人を」という感想は、実感が伴い、こちらまで、深く残ることばとなりました。
そして、この作業は、断捨離をした人だけにとどまらず、家族の人にも良い影響を与えていました。
単なる物ではない物、空間がつくるこころの軽さと静まるきもち、動くことが同時に自分を整えることにつながっていくということは、とても素敵なこととおもいました。
又吉が解釈した「走れメロス」
2022.9.22よしなしごと
又吉直樹が、太宰治の「走れメロス」を、文章を読みながら解釈をしていくという動画を見ました。
小学高学年か中学のときに読んだ、友情とか信頼をテーマにした短編という印象しか持っていませんでしたが、
いきなり、「メロスは激怒した」という、意表を突いた文を又吉が読みだしたとき、
こんな衝撃的な書き出しなのに、
まったく記憶に残っていないことが、おどろきでした。
6回に分けての解説に、何度も笑ったり、太宰の文章の強さやリズムのよさの説明があり、はじめてメロスを知りました。
もともとシラーの詩、「人質」をもとに、太宰が肉付けをしていった作品らしいのですが、実際に太宰の体験もあったらしいのです。
執筆のために、熱海の温泉宿に宿泊していたところ、お金に困り、状況を知った女性が知り合いの檀一雄に、太宰にお金を渡し連れ帰ってほしいと頼まれたものの、太宰と檀一雄は、そのお金で飲んでしまい、また困ることになります。
太宰は工面してくると檀一雄を宿に残し、東京にもどります。
が、帰ってこない太宰の様子を檀一雄が見に行くと、太宰は井伏鱒二と将棋を打って
おり、咎められると、「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」と言ったというはなしがあったそうです。
太宰自身は、これがきっかけとは、残していないそうですが、のちに、檀一雄が「走れメロス」を読んだとき、この体験が似ていると思ったそうです。
小説の中で、メロスに、間に合うか間に合わないではない、と言わせ、そして、むき出しの人間が本来持っている間に合うために行動したという、その姿はこの世に存在したという状況にするのが、メロスの信念の部分と結ばれています。
住吉大社と浦島太郎
2022.6.11よしなしごと
大阪の南海電車で、「住吉大社駅」または、路面電車の阪堺(はんかい)電車で、「鳥居前」の停留所で降りると、目の前が住吉大社になります。
特に、阪堺電車を利用すると、太鼓橋がすぐで、昔は、海の入り江がここまであり、「遣唐使進発の地」の碑もあります。
神功皇后の孫の、仁徳天皇が開いたといわれているこの住吉津(港)から、航海の無事を祈り、遣隋使、遣唐使が旅立っていました。
住吉大社の本宮が四つあることから、遣唐使船は、四隻で構成されていたのではないかと伝わっています。
もうひとつ、ここには、浦島太郎の伝説があります。
万葉集に、「住吉(すみのえ)に、帰り来たりて家見れど、家も見かねて、里見れど、云々」という文が残っています。
浦島太郎は住吉の住人であった、
住吉大社の近くの塚には、玉手箱を埋めたとされる地、玉手箱があった、
近くの帝塚山古墳は、浦島太郎のお墓という伝説もあります。
長野には、浦島太郎が玉手箱を開けた地、と言われている場所があり、さもありなんと思ったところがあります。
「寝覚めの床」という、木曽川の岸に、巨岩がたくさん並んでいるところがあり、長い年月の侵食の影響か、岩の上は床のように平らで、歩けます。
特に大きな岩には、「屏風岩」「亀岩」と名づけられ、この岩の上に座って、玉手箱を開けた浦島太郎を思うと、呆然とした浦島太郎の表情がリアルに思えました。