11月1日、白いうさぎと記念日

2022.11.1紅茶

今日、11月1日はたくさんある記念の日から、まず、「紅茶の日」をとりあげたいと思います。

江戸時代、廻船問屋の船長であった大黒屋光太夫が乗った船が、嵐にあい、江戸に向かうはずであったところが、漂流し、ロシアに流れ着きました。
そこから9年余りをかけ、光太夫はようやくサンクトペテルブルクに着き、エカテリーナ2世に謁見する機会を与えられました。
それは、直接帰国の許可を願い出ることでした。

帰国の許可を与えられた光太夫は、1791年11月1日にエカテリーナ2世のお茶会に招かれます。
おそらく、光太夫は日本人として、最初に紅茶を飲んだのではないかと、その日を日本紅茶協会が、「紅茶の日」と制定しました。

もうひとつ、「古典の日」ともいわれます。
これは、2008年の源氏千年記から、制定されています。
「紫式部日記」に、1008年11月1日の日付けで、源氏物語についての記載があるところ、藤原公任が、「あなかしこ、このあたりに若紫やさぶらふ」の「若紫」からきています。

今日は、おついたちで、羽生結弦選手たちがやっているという、もともとはイギリスのおまじないであった、「rabbit rabbit white rabbit」と唱えると、その月は、しあわせになる、という、ラッキーな日でもあります。

もうひとつ、たのしい記念になるのが、「ポッキーの日」
11時11分、1がたくさん並び、単純にうれしくなります。

藤原行成の書と清少納言

2022.10.31よしなしごと

かな文字が好きなので、小筆で和歌の臨書をしています。

気がつくと、伝藤原行成の書をよく書いています。

彼は、書の三蹟といわれている、小野道風、藤原佐理(ふじわらのすけまさ)と並ぶ
三蹟のひとりです。

ちなみに、よくいわれる書の三筆は、空海、嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)です。

行成は、小野道風の書が好きだったらしく、道風のうつくしい行書の影響か、流れが
とてもやわらかく優美で気品のある印象をもちました。
なぞってみると、丁寧で、おちついた人柄のようにも思います。

行成は、あの一条天皇(皇后は定子で、女房のひとりには清少納言)に仕えていたので、清少納言とも仲よく話しこむことがあったそうです。
遅くなってしまったある日、清少納言に、鶏が鳴くのに催促され、戻ってきてしまったと手紙を送りました。
清少納言から、まだ夜更けなのに、鳴いたのは函谷関の鶏かと返事があります。

これは、中国の戦国時代、鶏の鳴きまねをさせて、函谷関の関を開けさせ、難を逃れたという故事からきています。

清少納言のこういうウイット好きなところが、批判されたりもしますが、ちゃんと表現できるところが、話してても、
たのしい魅力ある女性だと、いまのわたしたちは、微笑ましく思います。

徒然草に見る幼な子のうた

2022.10.25よしなしごと

つれづれなるままに 日くらし 硯にむかひて 心に移りゆくよしなし事を、、ではじまる徒然草は、全部で243段あります。

男性について、姿かたちの美しいのがいい、とはいえ、中身がなくては、つまらない。
だからと、学ばなければならないものを書きつらねたあと、男は下戸ならぬこそよけれ、と書き加えています。

女性については、家の中をきちんとおさめる女はつまらない、また子供ができるとふたりで可愛がっているのだろうと思うと、目も当てられない、と言いたい放題。
どんな女も、明け暮れ見ているとつまらなくなる。
女もそうであろう。
時に通い、泊まるというのが、男女の仲が長続きするだろうと結んでいます。

友にしたくないのは、若き人、からだの強い人、欲深い人、嘘をつく人、酒乱の人、
病いのない人、身分の高い人と七つあげています。
反対にいい友として、物くるる友、医者、智恵ある友と三つ述べ、はじめに、物くるる友と書いているのが、とても即物的で、笑ってしまいます。

幼い子に対しては、おどしたり、こわがらせたり、幼な心はどんなに悲しくつらいだろう、悩ませておもしろがるのは、慈悲の心とはいえないと、やさしい心持ちを表現しています。

小さい人のかわいいおはなしも添えられています。

後嵯峨天皇の子、延政門院が幼いころ、父の御所へ参上する人に言づけた、という歌です。

ふたつ文字、牛の角(つの)文字、直(す)ぐな文字、歪(ゆが)み文字とぞ君は覚ゆる

ふたつ文字は、上下にふたつの「こ」、角のかたちの「い」、まっすぐな文字は「し」、歪み文字は「く」、あわせると「こいしく」になります。

延政門院に仕えていた一条という女房と兼好は歌を詠みかわしていたので、この可愛らしいエピソードもこの女房から聞き、記したのかもわかりません。

ああだこうだと好き放題に書かれてると思っていた徒然草ですが、後半に、こんな
こころたのしくなるようなお話しも書き記し、最後の243段には、兼好が八才のとき
仏のことを父にこどもらしく問うたことがたのしく書かれています。

兼好の、ものを見、書き綴った内容が、軽くほぐれていく流れを見ていくようでした。