田辺聖子さま
2019.6.13よしなしごと
はじめて読んだお聖さんの小説は、「窓を開けますか」でした。
若い女性のこころが、繊細に表現されているのにとても惹かれ、単行本、文庫の両方を持ち、片時も離さず大切に読みました。
それから、たくさんの小説、短編、エッセイ、評伝、みんな好きで読んできました。
短編のなかにある、文章のリズムが快く、技量のある作家だなと僭越にも思いました。
「おかあさん 疲れたよ」という長編小説があるのですが、それは昭和の歴史と平安時代が交差する、スケールの大きな作品で、小説家としての力量を強く感じました。
お聖さんの作品を読むたのしみは、たくさん散りばめられている、エスプリを見つけることも含まれます。
書かれた作品の中から編まれたアフォリズムの本もありますが、作品を何度も読む中で、気に入った表現を書きとめていたら、わたしだけのアフォリズムのノートが出来上がっていました。
どれもとても読みやすい文章で書かれていますが、何冊も、何回も読んでいるうちに、単にわかりやすさが目的の言葉ではないとわかってきます。
「表現は、ひらがなで書くようにわかりやすく」とお聖さんもおっしゃっていますが、アイロニーに深く立っている視点だからこそのユーモアであり、ときに鋭さに驚き、作家としての怖さを感じるときもありますが、豊かな日本語から選び抜かれたことばは、素直にこころに届きます。
「源氏物語」をはじめ、古典のいろいろを勉強できたのも、大好きになったお聖さんのおかげでした。
ずいぶん前になりますが、講演会に出かけ、お話しを伺ったことがあります。
小説のこと、古典のこと、幅ひろくお話しされ、最後に「川柳にも、こんなにうつくしい川柳がありますよ」と紹介してくださったのが、「残花亭日暦」にも書かれている「遠き人を 北斗の杓で 掬わんか」でした。
一度ならず、そのあと二度も朗々とゆっくり詠まれ、壇上を下りられました。
これからも、変わらず繰り返し読み直していくだろう中で、新たに何を感じていくのか、真摯にことばを追っていきたいと思います。
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