いまふたたび リヒテルのピアノ
2024.4.1音楽
1970年の秋、スヴィヤトスラフ・リヒテルが、はじめて、日本で演奏会を開く
という、大きなニュースがありました。
聴いてみたくて、チケット発売同時に、電話をしたものの、話し中でつながることは
なく、それをみていた母がわざわざ大阪まで出かけ、チケットを取ってくれました。
飛行機嫌いのため、シベリア鉄道、そして、船、というルートで、日本に着いた船上のリヒテルの姿は、大きくテレビや新聞で取り上げられました。
日本初の演奏会は、大阪のフェスティバルホールからはじまりました。
わたしは、シューマンの交響的練習曲とムソルグスキーの展覧会の絵を聴きました。
当時、それなりにピアノの音、演奏に感動しましたが、最近、ふたたび聴き出した
リヒテルの演奏はどうでしょう、、
わたしは、なにを聴いていたのでしょう、、
手が止まるほど、聴き入ってしまい、何度も何度も繰り返し、聴いています。
ことばでは語ってこないけど、なにかことばにならない哲学を、確実に感じるのです。
リヒテルに限らず、超一流といわれるひとの演奏には、一体、なにがあるのでしょう、、
追いつけない、なにを持っているのでしょう、、
伝えたいもの、表現したいもの、そんなことは瑣末なことで、どうでもよく、
演奏家にもわからない謎があるのではないか、、
その謎を明かさず、秘密裡にそっと差し出すというやり方、、
そして、私たちは、その謎を単に認識するという礼儀を持っているという、、
シューベルトをたくさん聴いたあと、いまは、朝、バッハの平均律を聴くのが好きです。
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