アズナブールとジルベール・べコー ムスタキとグレコ
2018.3.4音楽
アズナブールが今年の5月に来日公演するそうですね。今日はシャンソンのお話。
若い頃のアズナブールの公演に行ったことがあります。ぞくぞくするアズナブールの歌声は魅力的で、プログラム前半の最後の曲である、「ラ・ボエーム」を、ひとりでダンスを踊るように、舞台の袖に歌とともに消えていったステージは、いまだに強く印象に残っています。
「帰り来ぬ青春」、「イザベル」、「コメディアン」、「行かないで」など、たくさんのヒット曲がありますが、独特のアズナブールの歌声が、シャンソンの歌詞の内容を味わい深くしているようで、素敵です。
ジルベール・べコーも張りのある声とともに、とても情熱的なステージから、「ムッシュ10万ボルト」とニックネームがついていました。
私が公演を聴きに行ったその日は、交通の乱れで、べコーの到着が遅れていました。
ようやく会場に着いたにもかかわらず、べコーはこれからリハーサルをするので、開演が遅れるとのアナウンスがありました。
なかなか公演が始まらず、ホワイエで待っていた私たちが気がついたことは、べコーはその日の予定のプログラムをすべて、リハーサルしていたのです。それも情熱的に。
本番では、お客の反応がおとなしい時は、ステージで足を踏み鳴らし、会場を盛り上げていきました。「そして今は」「ナタリー」「ぼくの手」など、熱く歌っていた姿にすっかりファンになっていました。
ジョルジュ・ムスタキ、「わたしの孤独」がヒットしていた時で、ギターだけの伴奏でシンプルに歌っていました。「ある日恋の終わりが」「希望」特にエディット・ピアフが歌った彼の「ミロール」はとても有名ですが、ムスタキが歌うと、ドラマではなく、おはなしに昇華したようなシャンソンになっていました。
ジュリエット・グレコはいつも黒いシンプルな衣装で、ステージの真ん中に立ち、とてもドラマティックに歌い上げます。サルトルやボーヴォワールに愛され、昔のシャンソンも好きですが、グレコの歌うセルジュ・ゲンズブールやレオ・フェレの作品が好きです。最後のと言われたコンサートに出かけましたが、「聞かせてよ、愛の言葉を」は 今まで聴いてきたものとまったく違って、甘さのない激しいものでした。
外に出たくない日にシャンソンを聞くと、小さくなっていたこころにエネルギーが加わるような気がします。
デメルと皇妃エリザベート
2018.2.24紅茶
今年のバレンタインは、イタリアのVenchi(ヴェンキ)チョコレートとウィーンのDemel(デメル)のチョコレートケーキを楽しみました。
ブラックティーとチョコレートを合わせると、紅茶の渋みが残り、また、チョコレートのカカオの苦味も残ってしまいます。
ミルクを加え、イングリッシュミルクティーと合わせると、チョコレートの苦味が押さえられ、とてもおいしいペアリングとなります。
デメルというと皇妃エリザベート、愛称、シシーを思い出します。星の髪飾りを付けたシシーの肖像画が有名ですね。
若くしてフランツ・ヨーゼフと結婚しましたが、叔母であり姑でもある大公妃ゾフィーと合わず、心身症となり、転地療法として、旅が彼女の人生を多く取っていきました。
エリザベートの展覧会を見たことがありますが、印象に残っているのは、ハエをモティーフに自らがデザインしたというアクセサリーやスタイルをキープするためのエクササイズをしていた結果、ウエストは50cmだったという衣装、歯並びを気にして、口元を隠すために手放さなかったという扇等々。
美を保つために、極端なダイエットを自分に課していたせいか、その反動で甘いものを強く求めていきました。カフェに立ち寄るのが好きだったというエリザベートが好んだのが、シャーベットでした。デメルは最初、アイスクリームで脚光を浴び、1874年にハプスブルク家の御用達となります。
エリザベートはスミレのお花が大好きで、花の香りだけでなく、すみれの砂糖漬けやすみれのリキュールも好んだと伝わっています。
デメルでは、スミレのシャーベットとザッハトルテがエリザベートのゆかりのものとして有名です。
スミレのお花がイメージとして残り、デメルのチョコレートケーキには、フランスのダマン・フレールのジャルダンブルーの紅茶を合わせてみました。この紅茶は、矢車菊やひまわりの花びら、いちご、ルバーブがミックスされており、少し甘酸っぱさのある香りが、濃厚なチョコレートケーキの風味を、華やかにしてくれました。
精進料理と村瀬明道尼
2018.2.6よしなしごと
テレビで、精進料理の特集番組を放送していました。
ふと以前に、村瀬明道尼(むらせ みょうどうに)さんのお料理を頂いたことを思い出しました。
明道尼さんは、NHKのドラマ「ほんまもん」で、野際陽子さん演じる尼さんのモデルだった方です。
ご自身が書かれた本を読んだり、インタビューでのおはなしぶりを見て、魅力を感じていました。
思い切って、お料理を頂きたいとお電話すると、直接ご本人が出てこられ、どぎまぎしてしまいました。低くしっかりとしたお声で予約の日時を確認すると、一呼吸置いて、「お約束しましたよ」と少しゆっくり目に言われ、電話を切られました。
秋の日に、約束の11時に滋賀県大津市の月心寺に向かうと、玄関は打ち水がしてあり、素朴な秋のお花の花屏風が置かれていました。
ご挨拶もそこそこに、すぐにお料理が始まりました。最初に出していただいたのが、明道尼さんの代名詞である「ごま豆腐」でした。夜明け前早くから、ごまを摺る時は、「観音経」を2回唱えながら、作られます。ごま豆腐は色も白く清らかに見え、たっぷりとした大きさで、とてもおいしく頂きました。その後、次々とお料理が運ばれてきましたが、吉兆の湯木貞一さんが明道尼さんの精進料理に一目置いておられたので、味付けを心して頂いたことでした。ご飯は栗ご飯にして下さっていました。
ふだん、よく食べる方ですが、量が多く食べきれずにいると、「折りに入れましょう」と言って下さり、きれいな折り詰めにして持たせて下さいました。
食後、お時間を下さって、親しくお話が出来ました。話題は子供の頃からの修行の事(9才で出家なさっています)、文机の筆掛けに大小の幾種類もの筆が掛かっており、左手で筆を取ることができたこと(若い頃、大きな事故に遭われています)など、本がお好きで、源氏物語が話題になったとき、どの女君に惹かれるかという問いに、すぐに六条御息所とうれしそうに答えられたのが、印象に残っています。