現代語訳で読んだ「竹取物語」

2022.6.7よしなしごと

「竹取物語」ー田辺聖子、現代語訳を読みました。

軽い気持ちで読み始めたのに、引き込まれ、夢中になって読み終え、正直な感想が、「えっ、かぐや姫ってこんな話しだったの、、」というおどろきと感動でした。

竹の根元が光って、中にかわいい女の子がいる挿し絵や、天に昇っていくかぐや姫の姿の絵本が印象に残っているだけのおとぎ話の、それぞれの人物がこんなにも深い襞をもっていたとは知りませんでした。

かぐや姫の、五人の求婚者が見つけたきた品々に対して発したことばやうた、のちに帝、翁に対する振る舞いに、芯がつよくありながらも、深いおもいやりのかぐや姫に、生身の人間性を感じました。

「ものがたりのいで来(き)はじめの祖(おや)」と、紫式部はいったそうですが、仮名で書かれたわが国最初の物語にすばらしさを感じます。

五人の求婚者からの顛末から、阿部の大臣があえなく失敗したことを、「あえ(阿部)なしという、、」また、子安貝を取り損ねた中納言が発したひと言、「ああ、貝がない、、」から、期待はずれを「かいがない」というようになったなど、それぞれちいさなおはなしに、ユーモアのあるオチが書いてあり、それもおどろきでした。

迎えにきた天人が、天の羽衣と不死の薬を持ち、かぐや姫に、穢い地上のものを食べていたので気分がわるいはず、と薬を飲むように勧めます。

帝へ、そのわずかばかりの薬と手紙を残し、飛ぶ車に乗って天に昇っていった、というくだりに至っては、まるでSFの宇宙人のおはなしのように思ってしまいました。

その頃の政治やまわりの貴人に対する風刺ともとれる部分もあり、まだわからない作者が、どんな人物だったのか、想像がふくらむばかりです。

食べることと「旬」

2022.6.7お料理

お料理の辰巳芳子さんが、エッセイの中で、「旬」について、書かれている文章がありました。

「旬」とは、十日ごとに、季節のうつろいを敏感に感じ取り、その変化に合わせるよう、細やかに配慮して食べるもの、、

二十四節気でいうと、今日から「芒種(ぼうしゅ)」
「芒」というのは、稲の穂先の突起している部分のことで、稲、麦の種まきをはじめる頃です。

また、七十二侯では、秋に産みつけられたたまごから、カマキリが生まれる時期で、「蟷螂生(かまきりしょうず)」といわれるのが、今日です。
農作物の邪魔はせず、害虫をつかまえる、というかしこい虫です。

意外に思いますが、トマトが旬の野菜になります。
高温多湿に向かない野菜なので、真夏がベストとはいえないのです。

曇りや雨の日には、お日さまを食べましょう!とたのしくエネルギーをもらうのは、
おすすめです。

また「紫陽花」という名の涼しげな生菓子を、氷をひとつ抹茶茶碗に浮かべ、いただくのは至福の時間といえます。

ストレスと気ごごろ

2022.4.27よしなしごと

自分に深く集中できたとしても、ひとに対するストレスは、まつわりつくように、存在しています。

ひとりは気楽だけれど、こころを向けると、さみしい思いをすることがあります。

むかし、ジョルジュ・ムスタキが、「わたしの孤独」という、シャンソンを歌っていましたが、そのなかの、「さみしくないわ、孤独と一緒だから」という、孤独を取り込んでしまう歌詞が、深くこころに残っています。

人といるとき、部屋を離れたとしても、その、ひとの気配がとても気になってしまいます。

別に、ぎくしゃくしてる人間関係でもないのに、理由はどこにあるのか、すると、お互いに気ごころが知り得てるせいではないのかと、思い至りました。

気ごころが知れるのは、親しさが深まり、また、そのことに、おたがいが安心感をもったりと、良い印象がありますが、その通りなのでしょうか。

気ごころが知れるのは、もしかすると、かなしみを伴うことではないのか、

想像のなかで、一人、折り合いをつけることで、まっすぐに向かうはずであった気持ちの表現が、もやもやに変わって
しまうのだから。