住吉大社と浦島太郎

2022.6.11よしなしごと

大阪の南海電車で、「住吉大社駅」または、路面電車の阪堺(はんかい)電車で、「鳥居前」の停留所で降りると、目の前が住吉大社になります。

特に、阪堺電車を利用すると、太鼓橋がすぐで、昔は、海の入り江がここまであり、「遣唐使進発の地」の碑もあります。

神功皇后の孫の、仁徳天皇が開いたといわれているこの住吉津(港)から、航海の無事を祈り、遣隋使、遣唐使が旅立っていました。
住吉大社の本宮が四つあることから、遣唐使船は、四隻で構成されていたのではないかと伝わっています。

もうひとつ、ここには、浦島太郎の伝説があります。

万葉集に、「住吉(すみのえ)に、帰り来たりて家見れど、家も見かねて、里見れど、云々」という文が残っています。

浦島太郎は住吉の住人であった、
住吉大社の近くの塚には、玉手箱を埋めたとされる地、玉手箱があった、
近くの帝塚山古墳は、浦島太郎のお墓という伝説もあります。

長野には、浦島太郎が玉手箱を開けた地、と言われている場所があり、さもありなんと思ったところがあります。

「寝覚めの床」という、木曽川の岸に、巨岩がたくさん並んでいるところがあり、長い年月の侵食の影響か、岩の上は床のように平らで、歩けます。

特に大きな岩には、「屏風岩」「亀岩」と名づけられ、この岩の上に座って、玉手箱を開けた浦島太郎を思うと、呆然とした浦島太郎の表情がリアルに思えました。

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