時代祭りと清少納言

2017.10.22祭り

今日10月22日は、京都で行われる予定だった時代祭りが、台風のために中止になりましたね。天候不良での中止は、はじめてのことだそうです。時代祭りを含め、葵祭り、祇園祭りは、京都の三大祭りといわれています。

毎年5月15日に行われる賀茂祭りー葵祭りを見たことがあります。人が多くて混雑しているのではないかと案じていたのですが、下鴨神社では、ゆっくりと見ることができました。特に、藤の花できれいに飾られた牛車を真近で見たときは、とてもわくわくして興奮しました。

源氏物語の「車争い」のシーンが思い出されて、テンションが上がってしまったのです。物語では、葵祭りの前、斎院御禊(ぎょけい)の日に、光源氏が行列に加わることがわかり、源氏を見たい女性が多く集まっていました。その中に、源氏の正妻である身重の葵上もいました。周りのすすめでの急なお出ましで、良い場所が取れず、葵上の実家である左大臣の権力にものを言わせ、供のものたちが、身分が低く見える牛車を無理に立ち退かせてしまったのです。それが源氏をひと目見たく思い、目立たぬようお忍びで来ていた、源氏の愛人のひとり、六条御息所の網代車だったのです。車を壊され、葵上に来ていたことを知られた六条御息所は、屈辱を感じてしまいした。その後、物の怪に悩まされていた葵上を見舞った源氏は、物の怪の正体が六条御息所の生霊とわかって驚いてしまいます。葵上は夕霧を生んだあと、あっけなく死んでしまい、葵上が亡くなったことを知った六条御息所は、自身をうとましく思い、斎宮となった娘とともに、伊勢に下っていきます。これは源氏物語の話ですが、賀茂祭での実話も残っています。

清少納言の父、清原元輔(きよはらのもとすけ)は官位は低かったけれども歌人でありました。賀茂祭の使者として、一条大路を馬で行く途中で馬が何かにつまずき、落馬してしまいました。その時、冠が落ちて、はげ頭をさらしてしまい、見物のひとたちの失笑を買いました。この時代、冠や烏帽子を取るというのは、下着を取ることと同じように恥ずかしいことと考えられていたのです。供の差し出す冠をすぐに付けるのかと思われたのですが、落ちた所が殿上人の車が多くあった所で、元輔は大笑いをしていたその公達に対して、往来で演説をし始めたのでした。気をつけていても、人はつまずくことがある、馬もつまずくことがある。冠は、単に頭に載せるものであって、結わえるものではない。髪の毛があれば、冠を載せることもできるが、ない場合は滑り落ちることもある。誰の非でもなく、笑うものではないのだと言い、悠然と冠を被りなおしたと、元輔のひととなりが分かる話が伝わっています。元輔が年をとってから生まれたという清少納言ですが、案外楽しい家庭で育ったのかもわかりません。

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