キャラメルクリームと紅茶

2019.2.11紅茶

しんしんと冷たい日には、すこしコクのある飲み物が、欲しくなりますね。
キャラメルティーは、いかがでしょうか、、

佐藤雅子さんという方が書かれた「私の保存食ノート」という本の中に、とても簡単でユニークなキャラメルクリームの作り方が紹介されていたので、お伝えします。

コンデンスミルク1缶を、ふたは開けずに、そのままお鍋に入れ、缶がかぶるぐらいのお湯を入れて、火にかけるだけです。
缶がいつもお湯の中にあるように、お湯が少なくなれば、さし湯をし、ただひたすら火にかけておくだけです。
1時間から2時間、火にかけると書いてありました。

簡単なことなのですが、中身が見えないし、缶のままこんなに長時間、火にかけてていいものかどうか、不安になりながら、わたしは、1時間半、ぐつぐつ火にかけていました。

缶だけを取り出して、そのまま冷まします。
熱いうちに缶を開けると、中からキャラメルがとびだしてくるので、かならず冷ますこと、と書いてあったので、すっかり冷めるまで待ちました。

缶を開けると、とろりとおいしそうに出来上がっていました。
ただ、火加減を弱くしすぎていたせいか、クリームの色は、思っていたより薄めでしたが、しっかりキャラメルクリームになっていました。
紅茶に入れるときは、そのままでも軽やかさがあっておいしくいただけますが、ほんの少し、お砂糖を加えると、コクが出て、おいしく飲めました。

本には、パンにつけてもおいしいとありました。
メルバトーストという、バゲットをうすく切って焼いたものにつけたり、食パンを小さく切って、カリカリに焼いたパンにつけます。

このキャラメルソースの作り方は、スペインやアルゼンチンでも使われており、ドゥルセ・デ・レチェというそうです。

新年2019年

2019.1.4紅茶

「ムレスナティー」の素敵な言葉、「たくさんの幸せが舞い降りますように、、のおいしい紅茶」に惹かれて、お正月に淹れてみました。
これは、バラとモモのフレーバーティーです。

普通の紅茶のように、3分以上蒸らすことなく、はやく抽出できます。
ティーポットで蒸らして、カップへ注ぎ終わるまで、40秒で出来上がりとあります。

香りがいいので、そのまま楽しみたいところですが、お砂糖を少し加えることで、このフレーバーが引き立つようです。
「洗双糖きびざとう」を勧めています。
きび砂糖の糖蜜を、遠心分離機をかけ、糖蜜を取り除いたお砂糖の結晶のことです。

普段ブラックティーを飲むことが多いので、お砂糖を入れることに、少し抵抗がありましたが、生砂糖をすこし入れてみると、香りだけがふわふわと立ち上っていた紅茶に、低音が加わった感じがして、ボディーがしっかり立った印象になりました。
リーフはヌワラエリヤなので、特徴ある渋みが押さえられるのかも知れません。

香りはふしぎ、、
一瞬で気持ちが変わってしまいます。

中国から日本へ伝わった茶

2018.11.11紅茶

唐の文人で、陸羽(りくう)(733~804)という人がいますが、彼は、ふだんから茶をたしなんでいたらしく、「茶経」という本を著しました。
これは、茶の栽培や飲み方、茶の効用を3巻にまとめたもので、現代にも伝わっています。
「茶経」では、茶は薬用としてあります。

日本では、729年の天平元年に、聖武天皇が全国から僧を呼び、行茶の儀式を行ったと、「奥義抄」に残されています。
805年には最澄が、そして翌年の806年には、空海が茶の種と製茶法を伝えました。

1192年、栄西(1141~1215)が、宋から茶の種を持ち帰り、京都の栂ノ尾に植え、広めました。
その後、栄西は、鎌倉幕府の3代将軍実朝(1192~1219)にお茶を勧めます。
実朝が神経衰弱だったので、お茶は、飲むと神経が鎮まる妙薬なので、茶で養生するようにと勧めたのです。

また、「喫茶養生記」という本を書いて、献上しました。
この中で栄西は、茶の効用を説き、茶の栽培や摘み方、製茶、茶道具、飲み方にいたるまで詳しく述べました。

栄西は鎌倉時代の天台僧でしたが、中国に行くと密教より禅宗がさかんだったので、臨済宗をおさめて帰国しました。
禅が広まると、禅宗式のお茶の飲み方の儀式や作法が整っていきました。

村田珠光(1423~1502)は、室町時代中期の人で、わび茶の祖といわれています。
一休禅師の弟子となり、禅家の喫茶法を教わり、珠光の貴人点前は諸大名に広まっていきました。
禅宗が武家の信頼を得たので、武士は茶を大切にしたのです。
また珠光は、8代将軍足利義政の茶の師にもなり、また弟子の利休は、そのわび茶を完成させました。

武野紹鷗(たけの じょうおう)(1502~1555)は村田珠光の門下で珠光から紹鷗、そして利休に到って、茶はきわまりました。
大阪堺市の仁徳天皇陵のそばには、大仙公園という大きな公園があります。
その中に博物館があり、その前には、村野紹鷗の像がありました。
堺市は、利休ゆかりの町であり、利休が村野紹鷗に茶を教わった町でもありました。